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究極の箱庭映画『トゥルーマン・ショー』レビュー

2019.04.21 カテゴリー: レビュー 映画

「おはよう!そして会えない時のために、こんにちはとこんばんは!おやすみ!」

今回は1998年公開の名作映画「トゥルーマン・ショー」のレビューです。huluで公開されたので改めて書いていこうかと思います。

がっつりネタバレがあるので未視聴の方はお気をつけください!

目次

箱庭世界の恐怖と安心感

離島・シーヘブンで、保険会社に勤めるトゥルーマン・バーバンク(ジム・キャリー)は、「おはよう! そして会えない時のために、こんにちはとこんばんは!おやすみ!」が口癖の明るい青年である。彼は生まれてから1度も島から出たことがなかった。それは、父と一緒に海でボートを漕いでいたときに「嵐が来るぞ」という父の警告を無視して船を進め、嵐を回避できず海に投げ出された父親を亡くしたことで、水恐怖症を患ってしまったためであった。
ある日、彼がいつものように新聞を買ったあと、雑踏の中ひとりのホームレスの老人とすれ違う。それは幼い頃、海に沈み亡くなったはずの父親だった。しかしその直後、老人は瞬く間に何者かに連れ去られてしまう。彼はこの出来事をきっかけに、自分の周囲を不審に感じ始める。

トゥルーマン・ショー – Wikipedia

本作の主人公トゥルーマン(ジム・キャリー)。結局は作られた世界であるテレビ番組から姿を消したところで終幕となりますが、自分はむしろこれからの彼の人生を見てみたい。番組プロデューサー・クリストフの言っていた通り、普通の人生を歩むことができるのはスタジオの中だけなのか。

私は「マトリックス」シリーズだったり箱庭の環境の中でもがく系の映画が大好きなんですが、この映画はひたすらに狂気しかないですね。人間らしい優しい感情を持っている人間はほとんど登場せず、スタジオで働く人達の中でトゥルーマンを気にかけたように見えたのはシルヴィアとバスの黒人運転手のみ。

バラエティ番組といえば聞こえは良いですが、実際には自分以外全員看守の刑務所みたいなものです。しかも終身刑…

作中でクリストフは「トゥルーマンは囚人生活に慣れている」と言っていますが、確かにトゥルーマンはおそらくシルヴィアがいなければ一生外に出る勇気は持てなかったと思います。

ただトゥルーマンは映画冒頭星の名前が書かれた照明が落ちてきたとき、自分のいる世界がおかしいことに気付いていたように思います。

それでも死んだはずの父親が目の前に現れるまで行動を起こさなかったのは、現状が変わってしまうことへの恐怖だったのではないでしょうか。本当ならシルヴィアの「ネタばらし」を聞いて他の人を問いただすとかしちゃいそうですし。それにトゥルーマンが生まれて30年なんのほころびもなく番組を運営できていたとは到底思えませんしね。(エレベーターの裏側や同じ人が同じルートを周回していたりとか…)

それほど環境の変化を受け入れるには勇気がいるということなんでしょうか。まぁでも生まれ育った世界が完全に作り物なんて確信できるはずもないか…

この映画ってホラーだっけ?

役者も困ってるんです(?)

それにしてもこの映画怖すぎると思いませんか。さっきも述べましたがトゥルーマンを気にかけたように見えたのはシルヴィアとバスの黒人運転手のみ。特に運転手にはなぜかぐっと来てしまいましたが、この作品悪役っぽい悪役は番組制作プロデューサー・クリストフただ一人。

しかしこの映画の異常性は出演者の変わり身の早さでしょう。トゥルーマンが姿を消したとき、いままで出演していた(生活していた)役者たちは血眼になってトゥルーマンを探そうとします。心優しそうな隣人の老人や毎日顔を合わせる双子の老兄弟。

彼らは役者であり、トゥルーマンがいなくなれば失職してしまいます。当然トゥルーマンを逃がすわけにはいきません。それにしたってこんな探し方して仮にトゥルーマンを見つけてもその後の番組続行は無理だろうと思いましたが…

嘘で固められた人間関係

世界の怪しさに気付くトゥルーマンですが、小さい頃からの幼馴染マーロンの言葉には耳を傾けます。ずっと一緒に過ごしてきた友の言葉ですからさすがに怪しんだりはしないはずです。しかしその言葉すら番組に指示されたものだった。
クリストフはもちろんですがもうマーロンは恐ろしいですよほんと。ある意味トゥルーマンより精神ダメージ大きそうなのに平然と演技してやがる…

マーロンに関しては最後まで何か期待してるところがありました。いつかトゥルーマンを救ってくれるんじゃないかと。でもマーロンはただ演技がうまい役者だったんですよ。妻役だったメリルは会話の中に広告文句を入れるのが下手だし、すぐにボロを出してしまいます。その点マーロンはトゥルーマンに気付かれないようビールの宣伝をしたり、本当の親友のようにふるまっていました。これが本当に怖いです。

嘘で固められた人間関係イメージ

現代では誰もがトゥルーマン

この映画から自分が誰かに監視されているかのような意識を持ってしまうことを精神医学的に「トゥルーマン・ショー妄想」というようになったそうですが、これって現代に生きる自分たちにとってはすごい近しい問題だと思います。

SNS・インスタ映えなど、スマホ世代は作品とは逆に自分から生活を発信することの多い世代ですが、一歩間違えると「トゥルーマン・ショー妄想」状態になってしまうかもしれません。

発信しているということは誰かが見ているということです。自分の一挙手一投足がいろんな人に見られていて監視されている。これはまさしくトゥルーマンと同じ状況です。

ただ一つ違うのは、監視する対象が一方的ではなく相互監視であることです。お互いがお互いに監視しあい、その演出した自分になりきり相手の人生に干渉する。まるで総トゥルーマン状態です。

確かにリアルタイムの情報が手に入ったり遠くの相手と連絡を取り合えるのは便利です。でもSNSの文字列に自分の環境が変えられることってほとんどなくて、実際には自分で考えて生きていかないといけない。

トゥルーマンは映画の最後クリストフからの支配を逃れて監視世界から去っていきます。ついにトゥルーマンは囚人から脱却して”自分の”世界に飛び出せて行けたんです。

まとめ

最後はSNSの話になっちゃってなんじゃらほいな感じでしたが、実際自分の生きている世界を他人の目を気にせず生きるのって難しいと思います。

トゥルーマン・ショーはそんな現状を打ち払って生きていく勇気をくれる素晴らしい映画だと思いました。ブロンド美女が迎えに来てくれるかもしれませんよ。

でも、一番怖いのはトゥルーマンが去ったあと一瞬で興味を失う一般視聴者なんですけどね。

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2019.04.21 カテゴリー: レビュー 映画